こんな生傷が絶え間なく・・・
振り返ると、本当にあっという間だったように感じます。
(息子はDQ13、春から支援学校の高等部)
小学部のころは、穏やかでいつもニコニコして本当にかわいい子でした。
ヘルパーさんからも、とてもかわいがっていただき親バカな見方かもしれませんが
支援しやすく新任の方の練習に使われるくらい「人気」のある子でした。
ことの始まりは小学部6年生。
【問題行動①】便意を感じることができずに排便トラブル&超こだわり行動 ~そこに至る原因~
当ブログのシリーズ記事で、2年間ほどのことを要約して書いておりますが
その後、あれよあれよという間に深みにはまっていきました。
お恥ずかしい話ですがこの記事では、どん底に落ちるまでを書き記しておきます。
目次
1.暴力的になっていった
2.暴力に対する私たちの対応
3.応急処置
4.支援会議
1.暴力的になっていった
息子には膨大なストレスがかかっていることは容易に見て取れました。シリーズ記事で書いていてたトイレの問題や、クラスメートからの善意の関わりは、
なんとかクリアできたのですが根本的に息子のストレス源を排除できていなかったから、
暴力的になっていったのは当然の結果だと思えます。
↑ ガラスの割れたTVボード
家族への攻撃はもちろんのこと、
激高してしまうと見境なく攻撃がでるようになっていきました。
ガラスへの攻撃は、私達がすぐにアタフタしてしまったので
見事なまでに学習してどんどんとエスカレートしていきました。
人への攻撃、ガラスや鏡への攻撃が激化・・・
本当に転がり落ちるようでした。
学校では先生やクラスメートにも。
ヘルパーさんとのお出かけでは、電車の中で咳をした見ず知らずのオジサンに手を出したり・・・
2.暴力に対する私たちの対応
私たちの対応
一言でいうと「我慢」でした。
最初は、ストレス貯めているから、これでちょっとでもスッキリするなら・・・
そんな思いからでした。
攻撃が激化する中、
「叩きません」とか、クッションなどの代用品でこらえてもらおうとしたり
手軽に取り組めることはやりましたが、全く効果はありませんでした。
あの、穏やかでいつもニコニコしていたという印象がなかなかぬぐえなくて、
ストレス源さえ小さくなってくれたら、またあの息子に戻ってくれる、それまでの辛抱という考えがありました。
「思春期さえ終われば」という夢を見ていたのかな。
暴力は絶対に許さない
『暴力は絶対に許さない』というスタンスを取り切れませんでした。
一番、しんどい思いをしているのは息子本人ですが、暴力はいけません。
暴力をふるう代わりのコミュニケーション方法をしっかり支援する必要があったのですが
当時の息子のコミュニケーションしたいこと(こだわり)が、あまりにも一時的なもののように思え、そこに労力を使うのが本当に良いのかどうか判断を迷っていました。
息子のコミュニケーションしたいこと
それはキッチンへの介入でした。
キッチンでしていること、すべてに自分なりのこだわりを持ち、そのこだわり通りに対応させようと躍起になってきたのです。
例えば・・・
食材を切ると、「早く鍋(フライパン)に入れろ!」
鍋(フライパン)を使い終わると、「早く洗え!」
洗い終わると「早く拭け!」
拭き終わると「早くかたずけろ!」
この要求を満たさないと、まるで地球が滅亡するから急げ!!!という勢いで
ケンカ腰でワーワー言ってくるのです。
でも、食材の投入タイミングや、テフロンのフライパンは冷めてからでないと洗えないなどなど大人の事情があれこれあって、すべての要求に対応できないのです。
「まってカード」や「タイムタイマー」での取り組みを実施しましたが
ワーワー言うことで妻が最終的に息子の要求に応じてきていたので、
ちょっとやそっとで 「セオリー通りの支援」 を身に着けさせることができませんでした。
例えば・・・
テフロンのフライパンを洗え!と要求され、「熱いうちは洗えない」といったんは拒否するのです。
この拒否は、「ダメなものはダメ」と知らせているつもりだったそうです(妻の主張)。
その後、あまりにもワーワーうるさく言い続けるので洗っちゃう ということを繰り返してきていました。
↑
この対応に、やるなら最初から対応する やらないなら絶対対応しない
という提案をしていましたが、「ダメなものはダメと言わないと!」という妻の考えがありました。
ただ結果として息子からすると・・・
「ワーワー言うことで希望が叶った」となり、「ワーワー言う」ことを強化しているのです。ダメなものをダメと言ってきた ということですが、それを理解できていない という展開です。
「セオリー通りの支援」を機嫌の良いときに、しっかりとコツコツと練習しておく必要を痛感しました。
この私達から見れば、奇妙なこだわりがいつまで続くのか・・・
延々続くかもしれないが、来月には跡形もなく消えているかもしれない・・・
と、またまたしっかり支援することに消極的になっていたのも事実です。
ここをしっかり支援しないとダメなのですが、
キッチン関連のコミュニケーションを身に着けてもなぁ・・・将来役に立つのか・・・
という思いが私の重い腰をより一層重くしていました。
3.応急処置
体力的に勝っているのは私だけなので、私が家にいないときの緊急避難場所が必要だということで
応急処置的に妻や弟が逃げ込める場所を作ることにしました。
部屋の模様替えを大々的にして、リビングの扉に鍵を付けることで
避難場所を作りました。
↑こんなカードを作成して模様替えすることもカレンダーで伝えました
↑ 鍵付きのドアノブに変更
↑ ガラスを叩かないようにアクリルの板を取り付け、禁止マークでお知らせ
当然、息子は激高しました。
禁止マークは紙を貼り付けただけなので、一瞬でビリビリ~っと。
「入れませんよ」とお知らせすることが役目だったので・・・ まぁ早々のお役御免ということかな。
想定の範囲外だったのが・・・
鍵のかかったドアノブをガチャガチャやっているうちに
あらぬ方向へ曲がりだし、鍵がバカになってしまいました。
鍵をかけてもスルーできるようになりました(たった2日)。
そこでドアノブを物理的に動かないようにと、プチDIY。
これで大丈夫だろうと思っていたら・・・
↑ドアノブを折っちゃいました
金属疲労するまでガチャガチャと・・・
ものすごい怪力というか、諦めないというか・・・
ただ、結果的には良かったというか、
もう息子が入れなくなったのです。
ドアノブがなくなったから、ガチャガチャもできず、リビングへは入れなくなりました。
この扉の運用方法
ただ、やみくもに自分たちが閉じこもったのではなく
『ワーワー言い出したら部屋から出てもらう』
※タイマーで扉が開くまでの時間を提示
タイマーで示した時間内に息子がワーワー言っていたこだわりをクリアにしておく
ということを繰り返しました。
大きな効果は見せなかったものの、妻のストレスがかなり低減できたことは大きかったように思います。
それと同時期に、私の重い腰を持ち上げる方向へ様々なことが動き出したのです。
4.支援会議
この支援会議ですが、便宜上そのように記載しています。
詳しくないのですが、おそらく事業所の方が支援計画を作成する段階で必要があれば担当者会議を開くことができるという制度のようです。また機会があればヒヤリングしておきます(滝汗)
小学部1年のときからお世話になっている事業所の方が、支援会議を開いてくださいました。計7つの事業所、学校からの担任や関わっている先生方など総勢20人くらいになりました。
私の支援下手が招いた混乱なのですが(見るに見かねたということだったのでしょう)
支援者さんから声をかけていただき、大勢の方がわざわざお忙しい中集まってくださったことに本当に感謝しかありませんでした。
・手が出た時に対応方法など、各事業所でどのように対応しているのか
・家庭、学校、事業所での支援を統一したものにしよう
などなど、有意義な会議になりました。
数か月後に、再度集まろうという話になり、
2回目は親のいないところで忌憚なきご意見を出しやすいだろうと
私達は参加せずに、お任せいたしました。
実は、私達は隣県の事業所とも契約していて毎週息子を連れて行っています。
その事業所は発達障害サポートセンターピュアという全国から支援者さんが見学に来られる事業所で、
2回目の支援会議には、ピュアの副センター長も参加してくださっていました。
その後、副センター長から「家庭に入って様子を見させてほしい」と言っていただき、
手取り足取り、息子の支援の見直しを手伝っていただくことになりました。
どん底からの脱却に向けて動き出しました。まだまだこれからしっかり支援を続けねばなりませんが少し希望が見えてきた気がしています。
そのあたりは、また書いていきます。
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